コロムビア歌謡大会 4月18日 於:労働会館

昨年の初秋、管理人の元に一枚の写真が届きました。
コロムビア歌謡大会 4月18日 於:労働会館」と裏書きされた、姐さんの写った写真です。
提供して頂いたのは、北九州市の八幡東区にある「ガーベラ」というスナックのママさん。
写真中央和服姿の姐さんと小唄勝太郎さんはわかるけど、横に居並ぶ出演者らしき方たちもきっと名のある方たちのはず、わかりませんか?との依頼も添えて。



労働会館とは、福岡県旧八幡市(現北九州市八幡東区)に、1952(昭和27)年3月1日に竣工し1982(昭和57)年に新労働会館建設に伴い取り壊されてしまった八幡製鐵労働会館のこと。

そこで時期ですが、勝太郎さんの死が1974(昭和49)年6月。そしていわゆる”懐メロ”ブームが昭和40年代。会のタイトルからして”懐メロ”をモチーフにしたものではないようですし、昭和40年には姐さん、59歳。とても見えません。というわけで開館の‘52(昭和27)年から昭和30年代末までの間でしょう。

なお‘53(昭和28)年の4月18日、姐さんは関西でのお仕事ですし、’56(昭和31)年は、たまたま入手した労働会館の利用状況によると、18~19日の二日間は映画の上映会(「奥様は大学生」「まらそん侍」の2本立て)が開かれています。したがって無し。

こんなふうに日程まで明確な情報はこれ以上ありませんが、前後の動向から少し可能性を推理してみると…。

‘54(昭和29)年3月30日、姐さんを歌手への道へと誘う決定的な影響を与えた、母親代りで姉母と慕った次姉のしげのさんが66歳で死去、川崎町で葬儀が営まれています。
笑顔に囲まれた写真中央で一人表情を崩さずカメラに納まる姐さんの姿に、そんな背景の物語りを読んでみたい誘惑にかられます。

‘57(昭和32)年5月20日には、八幡製鉄所慰安会に招かれ、八幡中央町の料亭「初音」での、昭和5年に挙行された安川第五郎を送る会の思い出を語る会にも出席。「北九州小唄」を披露しています。

‘60(昭和35)年3月には、小倉市制60周年記念小倉大博覧会に出演。4月15日には「新八幡音頭」阿南哲郎作詞、若山彰とデュエット)をリリースしています。

この間のこの時期については、今のところこれぐらいの情報しか持ち合わせていませんが、姐さんは、仕事のあるなしにかかわらずほぼ毎年帰省されていたようなので、’53年と’56年以外はすべて可能性を否定はできません。要は、この時代に活躍されたであろう出演者の、そのお名前だけでも分かれば、ということなのです。

もう少し付記します。
裏書の「コロムビア歌謡大会」が、写真左上にある看板の文字から歌謡祭であったとしても、勝太郎さんがコロムビアに在籍したのは‘46(昭和21)年から’48(昭和23)年の2年間。つまり労働会館建設以前です。とすればゲストだったのでしょうか。それとも、他の出演者の方も含めてコロムビア所属には特にこだわりのないショーだったのでしょうか。

ご存知の方、ご一報頂ければ幸いです。


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コロムビア歌謡大会 4月18日 於:労働会館 への3件のコメント

  1. みんみん より:

    こんばんは。
    小梅さんの右側(向かって左。勝太郎さんの反対側)は、二葉あき子さんです。
    二葉さんの右(向かって左)は、池真理子さんではないでしょうか。
    二葉さんも池さんも、コロムビアの専属です。
    「コロムビア歌謡大会」とあれば、他社の勝太郎さんがゲストで出るのは
    当時としては、考えられないような気がしますが、
    会館の落成時には勝太郎さんは既にテイチク専属になってますし、
    よくわかりませんね。
    勝太郎さんの左(向かって右)は、鶴田六郎さんのような気がします。

  2. Felet より:

    みんみん様
    貴重なコメント、どうもありがとうございます。そしてお久し振りです。
    二葉あき子さんについては、管理人も掲載する時点で恐らくそうでは、との印象を持っていましたし、何人かの方から指摘を受けていました。間違いなさそうですね。
    さて、池真理子さんと鶴田六郎さん。みんみんさんの、「ではないでしょうか」「気がします」という言葉通り、確定とは言えぬまでも、ネット上で散見できるお二人のものらしい写真などから、確かにそんな印象が見受けられます。とにかく相当豪華で賑やかなステージであったことは間違いないようです。
    ところで、みんみんさんのコメントがきっかけで、北九州SPレコードを聴く会の安部さんより、もうお一人のお名前について情報を寄せて頂きました。写真向かって一番右側の男性です。旧八幡市在住の作詞家、山田繁雄さん。新民謡では「小倉音頭」「新八幡小唄」「若戸大橋音頭」などを作詞されていて、そうした縁でこの歌謡祭のゲストに招かれていたのではと思われます。
    なお、山田さんは、小中学校の校歌を数多く手がけられていて、北九州市立大蔵小学校、同大原小学校、同大場谷小学校、同上津役小学校、同高見中学校といずれも旧八幡市の学校や、福岡市立警固中学校、同舞鶴中学校などが確認できました。
    あらためてみんみんさん、貴重なコメントをどうもありがとうございました。

  3. ゆう より:

    このような写真が残されていたとは少し驚きました。

    この写真の時期、大体ですがわかります。
    写真一番右のFeletさん記載の山田繁雄は私の祖父です。

    珍しいものがあったと思い父に写真を見せて聞いてみたところ
    ちょうどこの歌謡祭近辺の時期、祖父の八幡の家に
    小梅さん含め何人かがよく来て酒盛りをしていたそうです。

    当時父は小学生だったそうですが小梅さんから
    大笑いしながら無理やり酒を飲まされて泡を吹いて倒れた記憶があるそうです。
    (それが原因ではないとは思いますが今も父は酒が飲めません)

    ですので父の年齢から逆算するとこの写真は昭和30~33年ぐらいだと思います。
    写真に写ってる祖父は当時で40代後半から50歳ぐらいのはずですね。
    祖父と小梅さんは一つ違いだと言っていたそうなので
    写真の小梅さんも同じような年齢だったのではないかと。
    祖父が作詞活動をしていたのは恐らく60歳ぐらいまでで
    その後は書道家になり書を行いながら
    10数年前に95歳で天寿を全うしました。

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