カテゴリー別アーカイブ: 姐さんの交遊録

泉下の一大ページェント

歌手の岡本敦郎さんの訃報が、各メディアの1月7日付けで取り上げられていました。
お亡くなりになられたのは、昨年12月28日だそうです。
またお一人、姐さんと接点のあった方が鬼籍に入られました。 


高原列車は行く…澄んだ美声、岡本敦郎さん死去

読売新聞 1月7日(月)

 戦後の叙情歌謡を代表する歌手の岡本敦郎(おかもと・あつお)さんが昨年
12月28日、脳梗塞で亡くなった。88歳。葬儀は近親者で済ませた。
喪主は長男、秀一氏。 
北海道小樽市生まれ。武蔵野音楽学校(現・武蔵野音楽大)を卒業後、
1946年に安西愛子さんとのデュエット「朝はどこから」でデビューした。
 澄んだ美声の正統派歌唱でNHKの「ラジオ歌謡」を中心に活躍し、
「白い花の咲く頃」などの叙情歌を大ヒットさせた。
紅白歌合戦には第2回から計7回出場。
代表曲は、ほかに「あこがれの郵便馬車」「高原列車は行く」「リラの花咲
く頃」など。

 
小梅姐さん」の取材で、岡本さんにも声をかけさせて頂きました。
記録映画の証言者として特別何かを語れるほどのものは持ち合わせていません、という岡本さんの意向もあって撮影に至ることはありませんでしたが、こうして訃報に接すると、撮影に至らぬまでも、そして特別な何かでなくてもお話を聞いておけばという悔いが残ります。
もちろん現実の私たちにそんな余裕はありませんでしたが。
衷心よりご冥福をお祈りしたいと思います。

ところで、岡本さんへの取材のきっかけとなったのは、1981(昭和56)年に行われた姐さんの引退公演の発起人を記録した文書(交遊録~引退公演発起人の皆様)を入手し、そこにお名前があったからでした。

あらためてこのリストをみると、すでに多くの方が鬼籍に入られています。
万物流転、有為転変の世とはいえ、昭和という時代が、ますます遠くなっていることを実感せずにはいられません。

昨年は、岡本さんのほかにも、確認しえた限り、淡島千景さん、玉川スミさん、楢崎弥之助さん、森光子さんが黄泉路に旅立たれています。
以下にその訃報を、お亡くなりになった順に掲載し、ご冥福をお祈りしたいと思います。

なお、この時の引退公演、正しくは、姐さんの引退を惜しむ記念の集い、ということで「赤坂小梅さんのお祝い会」として開かれました。
きっと今ごろ、泉下の客となった皆さんで大賑わい、弦歌さんざめく一大ページェントが繰り広げられているのかもしれません。

赤坂小梅没後21年の祥月命日を前に。


映画「夫婦善哉」などで活躍 女優、淡島千景さん死去

2012.2.16 14:04 産経ニュース

 映画「夫婦善哉」などで知られ、舞台やテレビでも活躍した女優の淡島千景
(あわしま・ちかげ、本名・中川慶子=なかがわ・けいこ)さんが16日午前、
膵臓(すいぞう)がんのため死去した。87歳。
葬儀・告別式の日取りは未定。
 東京都出身。宝塚歌劇の娘役を経て昭和25年、渋谷実監督の「てんやわんや
」で映画デビューし、一躍人気スターに。
小津安二郎監督、木下恵介監督ら巨匠の作品にも起用され、コミカルな中にも品格を感じさせる演技で魅了した。
 代表作は森繁久弥さんと共演した豊田四郎監督の「夫婦善哉」(30年)。
ぐうたら旦那に振り回される三十女の芸者、蝶子で成熟した庶民的な女性の魅
力を発揮し、ブルーリボン主演女優賞を獲得した。喜劇「駅前シリーズ」でも森繁
さんと息の合ったやりとりで観客をわかせた。
 舞台や、大河ドラマ第1作「花の生涯」、「半七捕物帳」などのテレビにも数多く
出演。息の長い活躍を続け、近年は「故郷」(平成11年)に主演、「大停電の夜に
」(17年)、「春との旅」(22年)にも出演した。
 昭和31年菊池寛賞、63年紫綬褒章、平成7年勲四等宝冠章。

 
※淡島さんとは、高齢者をテーマにした企画で2000年4月、淡島さんの主演作『故郷』(‘99東映)の上映と、監督の向井寛さんとのトークショーにお招きした際、親しくお話をさせて頂く機会がありました。プロフィールからは想像もできないくらい、とにかく気さくな方でした。向井監督も‘08年、彼岸に旅立たれました。享年71。合掌。


「国会の爆弾男」 楢崎弥之助さん死去
2012年2月29日 朝日新聞デジタル

 ロッキード事件やリクルート事件など政府・与党の数々の疑惑を追及し、「国会
の爆弾男」と呼ばれた元衆院議員楢崎弥之助(ならざき・やのすけ、本名・弥之
祐)さんが死去したことが、29日分かった。91歳だった。 
 福岡県警によると、楢崎さんは一人暮らし。29日午後7時50分ごろ、楢崎さん
宅を訪れた孫の男性から「祖父が死んでいる」と110番通報があり、東署員が浴槽の縁に寄りかかるようにして倒れているのを確認した。検視の結果、28日朝に病死したとみている。  

 


三味線漫談家の玉川スミさん死去 最高齢の寄席芸人 92歳 
2012.9.25  産経ニュース

 大正、昭和、平成と活躍した最高齢の寄席芸人で三味線漫談家の玉川スミ
(たまがわ・すみ、本名・中川スミ=なかがわ・すみ)さんが25日、心不全のため
東京都内の病院で死去した。92歳。葬儀は近親者で行う。
後日、お別れの会を開く予定。
 玉川さんは福島県生まれ。幼少期から浪曲一座の舞台に立ち、浪曲師などを
経て昭和33年から三味線漫談を始めた。映画やテレビドラマなどにも出演。
最後の高座は平成22年11月20日、東京・浅草演芸ホールだった。

 


森光子さん肺炎による心不全で死去 92歳
 オリコン2012年11月14日(水)

 舞台『放浪記』で2000回以上主演し文化勲章や国民栄誉賞を受けた女優の森
光子さんが10日午後6時37分、肺炎による心不全のため都内病院で亡くなった。
92歳だった。
14日に家族葬を済ませ、同日、親族を通じて東宝が発表した。
本葬の予定は改めて発表される。
   以下は森さんの甥である柳田敏朗氏が14日、同社を通じて発表した経過報告
全文。
       ◇    
生前からの本人の希望でしたので、家族だけで本日密葬を相済ませました。  
 これまでは仕事柄ゆっくりと時間が作れなかったので、家族とともに、この最期
の時を一緒に過ごすことができましたこと、ありがたく存じております。  
 これまでも栄養管理のために、短期間入院することもあり、この度も、この9月
から大事をとって入院しておりましたところ、静かに眠るように息を引き取りました。
   おかげ様を持ちまして、テレビ、映画、演劇と多くの作品に出演させていただき、『放浪記』というライフワークとも出会って、本人にとってはたいへんに幸せな人
生であったと存じます。  
 これまでの長きにわたり、森光子を愛してくださった多くのファンの皆様、そして
支えてくださった方々に、心からの御礼と感謝を申し上げます。  
 誠にありがとうございました。

 

 

 

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内海桂子師匠

 さて、皆さん、内海桂子さんをご存知ですか?
そう、言わずと知れた漫才界の大御所、桂子・好江の音曲漫才コンビで一世を風靡、現在は社団法人漫才協会の名誉会長という凄い方です。

その桂子師匠、1923年生まれの御年88歳(1921年生まれという説も)。
にも関わらず驚く無かれ、何と“ツイッターのアカウントを取得し、自らの言葉でツイートを1日数回程度の割合で行い、好評を博している”のだそうです。

実は、姐さんの事に触れられている桂子師匠のツイートがある、との情報からこのことを知りました。2月3日のつぶやきで、以下、その全文です。

今日は赤坂の豊川稲荷で豆まきをします。これで今年も明けるわけですね。数えたら戦後直ぐからですので六十年は豆まきをしている事になります。赤坂小梅さん、大鵬横綱、フランキー堺さんその他にも懐かしい方々が思い出されます。こういった行事は年の決め事で参加出来ることの嬉しさがございます。
http://twitter.com/utumikeiko/status/33001938119303168

桂子師匠とも接点があったのですね。とにかく一番先に姐さんの名前が出てきて。
何だかやっぱり嬉しいですね。

ところで桂子師匠、最近ではこまどり姉妹の人生に迫ったドキュメンタリー映画『こまどり姉妹がやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』に、浅草を歩くこまどりさんと偶然出会うところが撮影されて映画にいかされ、私たちはそのお元気なお姿を見ることが出来ます。
ついでながら、この映画も傑作です。


※姐さんに関わる情報等をぜひお寄せ下さい。
私たちの強力な援軍でもある北九州SPレコードを聴く会安部嘉郎さんからは、「小梅姐さんのレコードも結構PR版があります。今後『未知との遭遇』があるかもしれません」と、大変楽しみなコメントを寄せて頂きました。大いに期待してその遭遇の情報をお待ちしたいと思います。

また、日本民謡協会鹿児島県連合会勝江聖風会長から、地元屋久島の民謡「屋久島マツバンダ」を、姐さんの唄声で聞きたいとの要望が寄せられています。
学術的に掘り起こされたものでなく、姐さんの節を参考に、民謡人の使命としてぜひ唄ってみたい、広めたい、と仰っています。

ところで、この「屋久島マツバンダ」、姐さんが吹き込んだレコードはあるらしいのですが、今のところそれ以上の手掛りはありません。恐らく安部さんの言うPR盤、今で言う自主製作盤のような形での出版だったと思われます。

情報をお持ちの方、些細な事でもかまいませんのでぜひお寄せ下さい。

 

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菊池淡狂さん

菊池淡狂さんが亡くなられました。

映画をご覧になった方ならご記憶にあると思いますが、「小梅さんは忘れることができないね。ほんとにかわいい顔するんだよ、太ってるくせに。・・・」と、軽妙な語り口で姐さんの天分は民謡にあったと喝破した、財団法人日本民謡協会理事長代行にして、日本民謡の生き字引のような存在の菊池淡狂さんが、去る8月13日にお亡くなりになりました。

ご遺族の強い希望で、葬儀は親族のみの密葬で執り行われたそうですが、明後17日「菊池淡狂氏おわかれ会」が開かれることになりました。

私たちにとっては、証言者のお一人というレベルを超えた存在でした。
製作前にはじめて日本民謡協会をお訪ねした時、たまたま出社の日だった淡狂さんは、私たちの製作意図に大いに共感を示され、本来なら民謡界がやるべき仕事だ、と協力と後援を即決で約束して頂きました。そして赤坂小梅という歌手の存在の大きさを、カメラマンを同行させればよかったと悔やむほどに、饒舌に語ってくれました。

その後も、取材や撮影、試写会等でお会いするたびにお元気なお姿に接していただけに、急逝という印象は否めません。享年89。謹んで哀悼の意を表したいと思います。合掌。

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五代目勝松の会「都と鄙」

 たとえ火の雨 槍の雨
 月が四角に照ったとて
 好いて好かれて 紅紐の
 解けぬ二人は縁結び ほんとにそうなら嬉しいね

  (「ほんとにそうなら」 久保田宵二作詞、古賀政男作曲)

この歌詞を地でいく姐さんの熱い恋。
小梅26歳。
六代目菊五郎劇団の立三味線、三代目杵屋勝松31歳。

そして、
「『ほんとにそうなら』を唄っていて、主人が死んだ電報の通知を受け取って、舞台に出ては、ほんとにそうならうれしいねって...ねえ、人間の運命っていろいろなんですよね」(本編より小梅の肉声/当時小梅は満州へ慰問中)

昭和14年10月19日、三代目杵屋勝松死去。享年39歳。
小梅33歳の秋でした。

2008年8月9日(土)

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