カテゴリー別アーカイブ: 民謡(ウタ)を巡って

小倉節のこと7


只の一夜で色がつく

羽田澄子監督作品で「薄墨の桜」という42分の短編があります。1977年の作品で、大変評価の高い映画だったようですが、残念ながら地方ではなかなかみる機会がなく今に到っています。

この「薄墨の桜」の花びらの色が、満開の際の白色から散りぎわに薄墨に変わることからこの名がついたといわれていて、映画をみていれば、この花びらが変化するという事実について少しは記憶に残っていたのかもしれません。

しかし、未見であると同時に薄墨という色合いの地味さからも記憶にはなく、もとより花見は楽しんでも桜の生態についてなど知ろうともせず、このフレーズ、浅はかにも単なるレトリックと思っていました。

満開の桜の撮影で安部山に赴いた日、車中の雑談でこの詞章が話題になりました。記憶はおぼろげだが、実際に花びらの色が変わるという話を、以前テレビで見たような覚えがある、とカメラマンが言い、ヘ~そう、などと間抜けな返事を返していたものです。

小倉節についてこの一連の駄文を連ねることになり、その会話を思い出しました。インターネットの便利さは、こんなときに実に見事に有効に発揮されるもののようで、すぐに、実際に色が変わる、しかも劇的にという事実を記すページに行きつきました。

さくらがわーるどからこんにちはというサイトに「秘蔵のスゴイ桜を紹介します!!」というタイトルで、茨城県桜川市にある磯部桜という品種の、文字通り劇的な色合いの変化をたどる桜が、写真入りで紹介されていました。
http://sakuragawa.tsukuba.ch/e222683.html

この桜、「咲き始めが純白で、満開に向かって紅く染まっていき、満開時には紅白になり、散り際には真っ赤な花びらを落とす」のだそうです。感受性を刺激するのに、これは充分な変化です。ご存知の方には一笑に付されそうなことかもしれませんが、さすが雨情と思わず膝を打ちたくなるほどでした。

ちなみに、最もポピュラーな桜の品種ソメイヨシノも、開花時のいわゆる桜色から、開花が進むにつれて白色に近くなり、そして、散り際には紅色が混ざってくるのだそうです。

仇し雨でも安部山の桜、只の一夜で色がつく・・・。

小倉節」のモチーフがここで大きく提示され、次の詞章の「・・・会(あい)の島」につながっていきます。

いずれにしろ、桜の散り方に人生観を託すようなコトバは世に溢れていますが、こうした花びらの変化は案外見落とされているような気もします。いえいえ、この花びらの変化を人生になぞらえ、その上で、散りざまに死生観を託すということなのでしょうか。無知なることに恥じ入るばかりです。

ところで、磯部桜が咲く桜川市のHPには、赤地に白抜きの目立つ体裁で放射線情報が掲載され、市民への注意喚起が為されていました。原子炉爆発を伴う“あってはならない”原発過酷事故という大惨事が、今も、そしてこれからも、住民に不要な心配をかけ続けている現実。民謡の世界には相容れない状況が確実に今、進行していることに深い哀しみを覚えます。http://www.city.sakuragawa.lg.jp/

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小倉節のこと6


続々・「櫓山」と「櫓山荘」、そして中原

しかし、この地の転変は、これに留まるものではありませんでした。その後、櫓山の地先をはじめ北九州の海岸部は広く埋め立てられ、戦後昭和の高度経済成長を担う明るい未来の象徴として、工場から立ち上る七色の煙に、希望を委ねる時代が到来します。

八幡市歌は、「焔炎々 波濤を焦がし 煙濛々 天に漲る」と、「天下の壮観 我が製鐵所」を歌い、戸畑市歌もまた「黒煙は 天に漲り エンジンは 大地をゆるがす 鉄腕の 高鳴るところ」と歌いました。

「・・・夏に窓を開けて飯をくおうものなら、飯の上に黒いすすがとんできて黒うなっとった。いまじゃ誰もほんとうにせんがのう。それでも、あんた、煙がこっちに流れてくると、わしの親爺は工場にむかって両手をあわせて拝みよった」(林えいだい著『八幡の公害』より)

どれぐらいの事態だったのか、これは旧八幡市の例ですが、具体的な数字があります。
「市で測定している降塵量は1キロ平方メートルに1ヶ月60トン前後である。<中略>最高は130トン、最低でも26トンあり、昭和40年の月平均が80トンで1年間に約1000トンの降塵量があったわけである。1000トンといえば4トン積みのダンプカー250台分であるから、そのすさまじさが想像できよう。これは降塵量だけのことであり、これに白い殺人魔といわれる亜硫酸ガスが加わるから問題は重大である。」(同上)

当然ながら、「子どもたちは喘息に苦しみ、大人も目や喉を痛め、畳は黒く、洗濯物もどす黒くなり、空は来る日も来る日もどんよりと曇っていた。<中略>まだ、公害という言葉はなかったけれど、市民は確実に公害の被害者だった。」(「女性の100年史~おんなの軌跡・北九州」より)

こうした状況に、逸早く立ち上がったのが、実はこの中原の女たちでした。
「青空回復に最初に取り組んだのは中原婦人会だった。(中略)1950(昭和25)年、同婦人会の集会で『不満をいっていても解決にはつながらない。汚染の実態を知るためにはまず調査をしよう』」(同上)と。

こうして、「純粋に子どもや夫の健康を願い、日常生活を正常に営んでいきたいという思いから立ち上がった女性たちの運動」は、「戦後復興、経済再建で頭がいっぱいの」男たちを尻目に、『青空がほしい』をスローガンに、20年にわたる市民運動として発展、「女性の力で市や企業を動かしたというのは異例」とされるような成果を上げました。

今、櫓山は、JR鹿児島本線と国道199号線、北九州都市高速道路の高架に挟まれ、行き交う車列の喧騒の中に、こんもりとした小さな森を形成して佇んでいます。中の櫓山荘公園に入ると、取材や撮影で何度か訪れた際にもそうでしたが、人の気配はなく、時が止まったような静けさに包まれていました。

まるで、昔日の激動の時間がエネルギーとして蓄積され、それを動力源として、人を寄せ付けない強固なバリアが立ち上がってでもいるかのような、そんな印象すら感じさせます。そういえば、かつて世間を震撼させた食品公害事件の原因となった食用油の製造元も、櫓山の目と鼻の先にあります。

この地で展開された、人々の様々な生き様、目まぐるしい変転は、すでに遠い過去としてその記憶も選別され、さらにその記憶も細くなり、歴史の中の小さな小さな一断片として書誌の片隅に置き去りにされていくのでしょう。それはまだ、マシなほうかもしれません。

櫓山と中原を巡る100年
たかが100年、されど100年。
有為転変が世の慣いとはいえ、“今”を生きる者には、明日はいつも今日の延長上にあります。しかし、そこには何の保証もないことを、この一地方の歴史の流れが物語ってもいるようです。

「櫓山」と「櫓山荘」、そして中原 ―――
少しばかり深追いしてしまったようです。

 

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小倉節のこと5


続・「櫓山」と「櫓山荘」、そして中原


雨情清水によって「小倉節」が創作されている頃、皆好園櫓山荘も、今を盛りと殷賑を極めていました。しかし時代は、第一次大戦の特需景気や震災復興の反動などが重なり、東北地方の農村部では冷害や貧困のために娘の身売りなどが社会問題になっている頃でもありました。

振り返ってみれば、満州事変から日中戦争へと、なし崩しに戦争への途へと転がっていく前夜の、それは、午睡の夢のような風景だったかもしれません。そして、橋本家の手を離れた櫓山荘と櫓山が、先の大戦の直接的な現場となることなど、花に酔い、“文化”に酔った人々の中で想像しえた人はいたのでしょうか。

1942(昭和17)年9月23日、福岡俘虜収容所・八幡仮俘虜収容所として、八幡市(現・北九州市八幡東区)中町に開設。1943(昭和18)年3月1日、第3分所と改称。(Fukuoka 3-B POW Camp)

同年12月15日、小倉市(現・北九州市小倉北区)大字中井矢倉下に移転。


使役企業は日本製鉄八幡製鉄所。
終戦時収容人員1195人(米616、蘭211、英193、インド132、中国22、葡9、豪3、他9)、収容中の死者158人。
http://www.powresearch.jp/jp/archive/camplist/#fukuoka
(POW研究会「日本国内の捕虜収容所」)

そして戦後、そこは「・・・中井浜の櫓山荘がけ下の境川沿い砂州には、木造バラックが並んだ。当時、ここに家族と住む小学級友を訪ねた。何かの施設の転用とは子ども心にもわかった。
電柱状の大きな材木が建物内外の支えに何本もあるバラック群は、中国、朝鮮半島からの引揚住宅と後で知った」(阪東湖人「小倉北区 中井浜ものがたり」より)とありました。

櫓山荘も、同上の著者によると「小学ワルガキ時代、仲間とこの場所を『怪人二十面相の隠れ家』と信じて探検に出掛けた。境川側から崖をよじ登って到達した櫓山荘洋館は、まだわずかだが原型をとどめていた。いま思えばサンルーム(当時は小学校にもある温室と思った)のガラスはコナゴナ、まったくの廃墟。でも『確かに怪人二十面相がオル』~ワルガキらは、妙に納得したものだった」とあり、その後時を経て取り壊され、2006(平成18)年、櫓山荘公園として整備され今に到っています。

負の歴史の忘却は、再び新たな粧いと共に、同じ轍を踏むことになりかねません。「櫓山荘跡という華やかなサロン文化の記念碑だけでなく、そのがけ下、中井浜連合軍俘虜収容所跡地も『負の遺産』の一部として後世に伝えてほしい」と書く上記著者の思いに、強く同感するものです。

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小倉節のこと4


「櫓山」と「櫓山荘」、そして中原

ところで、「櫓山(やぐらやま)」にも少し触れておきたいと思います。
歌詞は、「ここは櫓山 向こうは長門」というふうに、この唄の起点を明確に示しています。

「櫓山」とは、以下のようなところです。
――― 徳川幕府の鎖国令にそって禁を破った抜荷(ぬけに・密貿易)を取り締まるために、譜代大名の小笠原藩が1715(正徳5)年、この小山に堺鼻見張番所(さかいばなみはりばんしょ)の櫓を設けました。それで櫓山と言われていたのです。幕末には、外国の蒸気船、いわゆる黒船と、すぐ西側の筑前黒田藩の監視も兼ねて、見張りにぴったりの場所でした。(ふるさと歴史シリーズ「北九州に強くなろう」No.13<『櫓山荘』をめぐる女人たち 橋本多佳子、杉田久女、竹下しづの女>より)

現在地、福岡県北九州市小倉北区中井浜。この、筑前と豊前の国境沿い、埋立てられる前の、海に突き出した標高30メートルほどの小高い山に、1920(大正9)年、大阪の実業家橋本豊次郎が、洋風3階建ての自宅「櫓山荘(ろざんそう)」を建てました。

――― 櫓山荘から、はるかに玄界灘が見晴らせました。東がわが関門海峡の門司方面。前方が下関側の彦島で、その向こうに六連島(むつれじま)、雄島(おじま)、雌島(めじま)。そして西は名護屋崎先端の浜の松原から響灘、玄界灘。門司へ向かう数万トンの外国船や、下関と釜山を結ぶ関釜連絡船が眺められて見飽きないパノラマでした。(同上)

――― 1922(大正11)年3月、櫓山荘で開かれた高浜虚子歓迎句会で、豊次郎の妻多佳子は、俳句に惹かれます。句会で出会った虚子門下の女流俳人、杉田久女の指導を受けることになり、ここが橋本多佳子の俳人としての出発の地になりました。
1929(昭和4)年、豊次郎の父の死去に伴い、橋本家は大阪の帝塚山に転居。1937(昭和12)年豊次郎が急逝。その後1939(昭和14)年まで、櫓山荘は別荘として使用されています。(「北九州のあれこれ」より、<櫓山荘跡>現在の櫓山が写真で紹介されています。http://kitaqare.d.dooo.jp/tenk01.htm

この間櫓山荘には、雨情藤井清水はもちろんのこと、作家の里見弴久米正雄宇野浩二佐佐木茂索、作曲家の中山晋平、童話作家の久留島武彦、舞踊の石井漠、歌手の佐藤千夜子など多くの著名人や文化人が訪れ、北九州を代表する文化サロンとして一時代を画しました。ただ、姐さんを含む花柳界の芸妓が招かれたのかどうか、寡聞にして知りません。

皆好園は、この櫓山荘から歩いて10分ほどのところにありました。


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姐さんと本條秀太郎さんと「小倉節」
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郵便払込口座 01710-8-73330 加入者名 小倉節の会
チケット発券は11月初旬を予定しています。
本條秀太郎の会 特別公演~『小倉節』によせて~
期 日:2014(平成26)年1月30日(木)
時 間:開場/18:30 開演/19:00(予定)
会 場:北九州芸術劇場・中劇場
お問合せ/小倉節の会  Tel&Fax:050‐3354‐1518(IP)090-8408-7219 
E-mail:kokurabushi@gmail.com

 

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小倉節のこと3


中原と姐さん

皆好園について」(橋本利春/郷土戸畑No.10)、及び「皆好園始末記」(談/森隆俊、記/橋本利春/郷土戸畑No.11)によると、皆好園を開いた森民吉の弟の武は、「豊津中学校から陸軍士官学校に入り、杉山元元帥と同期で将来を嘱望されていたが、日露戦争に戦死した」とあります。

キーパーソンは杉山元(げん/はじめ)元帥。小倉生まれの大日本帝国陸軍軍人。太平洋戦争開戦時の参謀総長で、陸軍大臣などを歴任、敗戦後の9月12日に自決。夫人も自刃しています。

姐さんは、公私にわたってこの杉山夫妻に大変可愛がられていました。“中原”と唄う姐さんの「小倉節」を、夫妻が聴いていないはずはなく、なおのこと小倉生まれの杉山です。酒席の場などで、この“中原の桜”が話題になったであろうことは想像に難くありません。そして、豊津中学校、陸軍士官学校と、同期だった森武のことも杉山の口を告いで出ていたのではないでしょうか。

なにしろ森武は、同上の資料によると「戸畑町葬のときには、葬列が市内を一巡した後、戸畑小学校で盛大な公葬がおこなわれた」とあります。

中原の桜”は、こうして姐さんにも強く刻印されていたと思うのです。
では、何ゆえに姐さんは、“安部山”と変えたのでしょうか ―― 。
中原の桜”がなくなったこと。中原が小倉ではなかったこと。
そうかもしれません。

一方で「何しろ、頭わるいし、覚えわるいもんですから・・・」と語り、「生意気に私が書けるわけがございません」と、自伝『女の花道』のあとがきで、この自伝が代筆であることを正直に認めてしまうような姐さんであり、少女期を過ごした川崎町以来の友人で、高等女学校、福岡師範学校を経て、後年久留米市の婦人会長まで勤めた同級生との気の置けない交流の中で、いつも、小学4年生で退学した自分を引き合いに、友人の“頭の良さ”と自分の“わるさ”を語っていた姐さんでした。

“学歴”に対するコンプレックスと言ってしまえばそれまでですが、明治に生まれた姐さんの世代にとって、こうした感懐は致しかたのないことだったのかもしれません。
そんな姐さんにとって、作詞家の書いた歌詞を改変する、それも、敬してやまない当代一流の詩人・作詞家の雨情の詞です。原詞への敬意や過去を偲ぶという意味合いも含め、“中原”のまま唄うという選択肢もあったと思います。

安部山”と変えた姐さんの真意は、どこにあったのでしょうか。 ―― 。

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小倉節のこと2
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姐さんと本條秀太郎さんと「小倉節」
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小倉節のこと2


中原にも安部山があった!


雨情が書いた”中原の桜”、それは、当時中原にあった「皆好園(かいこうえん)」という、1万5千坪にも及ぶ桜の園地のことのようです。

皆好園は、3番の歌詞に唄われている「櫓山(やぐらやま)」のすぐそばにありました。
明治42、3年ごろに開園、園内に多数の電灯をつけて夜桜見物ができるるようにし、公園の前には、同45年7月に開通した九軌(九州電気軌道株式会社)の戸畑渡場線に、「皆好園」という停留所ができ、花見時には一日に1万4、5千人にものぼる人々が訪れ盛況を極めたといいます。(「皆好園始末記」〈談〉森隆俊〈記〉橋本利春/郷土戸畑No.11より)

そしてその終焉は「昭和12年、中原の埋立地に、九州電力戸畑発電所が第一期工事を終えて発電を開始、それとともに煙や降灰による影響が桜に及びはじめ」「それに加えて戦時態勢は日増しに強化され、桜より食料の増産が国家的な急務となり、桜を切ってしまって終戦の頃公園も終わりをつげた」(橋本利春「皆好園について」/郷土戸畑No.10)のだそうです。

こうして皆好園の顛末をみてみると、東京で園芸を研究して帰郷後、最初に開いた中原の地から現在地へと移動した安部熊之輔の事情と、まさしくリンクしていたことがわかります。

1909(明治42)年、明治専門学校(現九州工業大学)の開設が決まり、安部の敷地が充てられることになりました。そして、ここで興味深いのは、すでに当時、ここは「桜の名所の安部山」として、住民に親しまれていたというのです。

中原にも“安部山”があったのです。

そこで、「桜見物のできる名所がなくなった」ことを残念に思った、代々中原に住む森民吉という人が、「自分の所有地と、隣接する山林をあわせて公園にし、桜の苗木を植えて一般に公開するようにし」(同上/郷土戸畑No.10)て皆好園が誕生、住民に親しまれる桜の名所となったのです。

さらにもう一つ、この森民吉と姐さんとの間にも、とある縁(えにし)がありました。

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姐さんと本條秀太郎さんと「小倉節」
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小倉節のこと

 
小倉節の歌詞は6番まであります。
全文をご紹介します。



.
小 倉 節
作詞/野口雨情 作曲/藤井清水

小倉西へ行きゃ筑前博多
 思ひ出したら
ハァ ソコヤントサァ 
またおいで


仇し雨でも安部山の桜
 只の一夜で
ハァ ソコヤントサァ
 色がつく

                (※安部山=小梅改変、原詞は中原/引用者)

ここは櫓山向こうは長門 
沖の彦島は
ハァ ソコヤントサァ
 会(あい)の島

見たか聴いたか小倉の祇園
 若衆の太鼓で
ハァ ソコヤントサァ
 なりひびく

おまへ旅の衆かわしゃ旅がらす
 いやで小倉は
ハァ ソコヤントサァ
 去りゃしない

云うも泪よ聴いてはくれな
 云うに云われぬ
ハァ ソコヤントサァ
 訳がある  

    ※「定本 野口雨情 第五巻」(未来社刊)より


雨情原詞の、”中原”から”安部山”への改変については、これまで映画や本サイトでご紹介してきたように、姐さんから直接聞いたという本條秀太郎さんの証言があります。

この証言を得て、私たちは、今や北九州市内でも指折りの桜の名所となった安部山公園の、700本もの桜が満開となる時期を待ってカメラに収め、小倉節のシーンに彩を添えることができました。早いもので、すでに6年が経ちました。

この、姐さんの改変というエピソードについて、つい先頃までの私たちの認識は、以下のようなものでした。

現実に“中原”には桜の名所がなく、しかも中原は、旧小倉市ではなく旧戸畑市、つまり筑前の国。この両市を分ける境川が、櫓山(やぐらやま)の西側直下を流れ、そこには「従是西筑前國(これより西筑前国)」と記された国境石(現地にあるのはレプリカ、本物は北九州市立いのちのたび博物館に保管展示)があります。
もとより小倉を唄った小倉節ですから、姐さんの改変は、まったく正しい。

それともう一つ、これについて姐さんが知っていたかどうかはわかりませんが、安部山と中原の関係です。

安部山の地名の由来は、この地に園芸場を拓いて桜の名所に育て上げた安部熊之輔という人物に因むものですが、この安部が、東京で果樹園芸を研究して帰郷後、最初に開いたのがこの中原だったというのです。その後、園芸場経営に失敗して現在地を選んだのだそうですが、歌詞も、中原から安部山へという、少なからず不思議な、因縁めいたものを感じていました。

今回、「本條秀太郎の会 特別公演~『小倉節』によせて~」を催すにあたって、あらためてこの6番までの歌詞と向き合いながら、「小倉節」という唄の魅力を見つめてみたいと思っています。その入り口は、やはり姐さん改変の2番から。
これまでの認識を裏付け、また変更を余儀なくさせる事実がありました。(この項続く)


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時 間:開場/18:30 開演/19:00(予定)
会 場:北九州芸術劇場・中劇場
     北九州市小倉北区室町1丁目1-1-11(リバーウォーク北九州6階)
     [最寄り駅] JR西小倉駅(鹿児島本線・日豊本線)徒歩3分
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姐さんと本條秀太郎さんと「小倉節」

少しばかり遅くなってしまったご報告ですが、民謡専門誌「みんよう春秋」(隔月間、みんよう春秋社発行)の本年5月20日発行号(第211号)から、「本條秀太郎の三味線・民謡稽古」という、本條さんの連載がスタートしました。
サブタイトルは「三味線歌の唄い方 演奏法(弾き方)」。

本條さんは、その最初の課題曲として「小倉節」を取り上げ、4ページにわたって<歌い方><弾き方>を懇切丁寧に説き、「小倉節」への思いを述べられています。
映画『小梅姐さん』でも証言して頂いたその思いも詳述されており、以下、その部分だけ紹介させて頂く事にしました。

この曲は私にとって思い出深い曲です。
生前小梅姐さん(赤坂小梅)が『私の三味線弾きだよ』と可愛がってくださいました。
『小倉節』といういい歌がある、それを世に残したいとその頃よく聞かされてました。
博多の『正調博多節』のように、『小倉節』を小倉の博多節のように歌い繋いで残して欲しいと。

福岡の民放局から弾き歌いで放送させていただきました。沢山の方から反響を戴きました。
その折、新しく三味線の『手付け』をして、小梅姐さんの思いをと前弾きの部分に正調博多節の手を入れて三味線の作曲をしました。

歌詞も二番目の安部山は元は中原との事でしたが、姐さんが安部山に変えて歌ったと聞かされていました。
曲も元は歌謡曲風に、少し速かったものを速度も座敷歌になるよう工夫し編曲致しました。


そして

 

・・・美声の持ち主にはとても栄える作品です。
ここでは三味線歌として捉えたいと思います。
歌謡曲風にならず端唄や座敷歌のように仕上げたいと考えています。
三味線と歌とで曲を構成するよう心掛けましょう。

 

と述べられています。


★★★
姐さんの思いを受け、本條さんの思いを凝縮して、来春1月、「『小倉節』によせて(仮)」と題した「本條秀太郎の会 特別公演」を、地元小倉(北九州市)で開催すべく、検討を始めました。
今後の動向については、本サイト上でご案内していきたいと思います。どうぞご期待下さい!

◇本條秀太郎さんの公式ウェブサイト
http://www.honjoh.co.jp/honjoh/index.html

本條秀太郎さんに関するサイト内記事
・「北九州市立視聴覚センター」
http://www.koumenehsan.com/100nen/category/2012/02/%e5%8c%97%e4%b9%9d%e5%b7%9e%e5%b8%82%e7%ab%8b%e8%a6%96%e8%81%b4%e8%a6%9a%e3%82%bb%e3%83%b3%e3%82%bf%e3%83%bc.html

・「小倉節全国大会」
http://www.koumenehsan.com/100nen/category/2008/07/post_83.html

★雑誌「みんよう春秋」に関連するサイト内記事
・「みんよう春秋第190号」http://www.koumenehsan.com/100nen/category/2009/12/post_225.html

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民謡リスト~みなとの祭(新規追加)

民謡リストに、新たな一曲が加わりました。
 
みなとの祭

作詞:西條八十
作・編曲:佐々紅華
昭和8年 神戸新聞特選 神戸市民祭協会推奨
27608-A(38092) 


YouTubeで紹介されており、聴くことができます。
みなとの祭(赤坂小梅)-YouTube

 

 




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内海桂子師匠

 さて、皆さん、内海桂子さんをご存知ですか?
そう、言わずと知れた漫才界の大御所、桂子・好江の音曲漫才コンビで一世を風靡、現在は社団法人漫才協会の名誉会長という凄い方です。

その桂子師匠、1923年生まれの御年88歳(1921年生まれという説も)。
にも関わらず驚く無かれ、何と“ツイッターのアカウントを取得し、自らの言葉でツイートを1日数回程度の割合で行い、好評を博している”のだそうです。

実は、姐さんの事に触れられている桂子師匠のツイートがある、との情報からこのことを知りました。2月3日のつぶやきで、以下、その全文です。

今日は赤坂の豊川稲荷で豆まきをします。これで今年も明けるわけですね。数えたら戦後直ぐからですので六十年は豆まきをしている事になります。赤坂小梅さん、大鵬横綱、フランキー堺さんその他にも懐かしい方々が思い出されます。こういった行事は年の決め事で参加出来ることの嬉しさがございます。
http://twitter.com/utumikeiko/status/33001938119303168

桂子師匠とも接点があったのですね。とにかく一番先に姐さんの名前が出てきて。
何だかやっぱり嬉しいですね。

ところで桂子師匠、最近ではこまどり姉妹の人生に迫ったドキュメンタリー映画『こまどり姉妹がやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』に、浅草を歩くこまどりさんと偶然出会うところが撮影されて映画にいかされ、私たちはそのお元気なお姿を見ることが出来ます。
ついでながら、この映画も傑作です。


※姐さんに関わる情報等をぜひお寄せ下さい。
私たちの強力な援軍でもある北九州SPレコードを聴く会安部嘉郎さんからは、「小梅姐さんのレコードも結構PR版があります。今後『未知との遭遇』があるかもしれません」と、大変楽しみなコメントを寄せて頂きました。大いに期待してその遭遇の情報をお待ちしたいと思います。

また、日本民謡協会鹿児島県連合会勝江聖風会長から、地元屋久島の民謡「屋久島マツバンダ」を、姐さんの唄声で聞きたいとの要望が寄せられています。
学術的に掘り起こされたものでなく、姐さんの節を参考に、民謡人の使命としてぜひ唄ってみたい、広めたい、と仰っています。

ところで、この「屋久島マツバンダ」、姐さんが吹き込んだレコードはあるらしいのですが、今のところそれ以上の手掛りはありません。恐らく安部さんの言うPR盤、今で言う自主製作盤のような形での出版だったと思われます。

情報をお持ちの方、些細な事でもかまいませんのでぜひお寄せ下さい。

 

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続「天草民謡」余話

天草民謡」というタイトルについて、吉松英夫さんより追加の情報が寄せられました。

一番の唄い出しの歌詞を取って、「帰りそこねて」という曲として親しまれていたようです。
そう言えば、端唄や小唄、さのさ、都々逸などの俗謡から、清元、常磐津など一連の邦楽のタイトルは、概ね唄い出しのフレーズですものね。

また、横田良一さんについても、以下のような訂正を頂きました。
「横田さんがレコーディングした曲数は50曲以上ではなく、100曲以上です。
(横田良一伝にわかっている曲名が50曲掲載されていましので、以前は50曲以上と考えておりましたが、その後の調査で、100曲以上を確認しております。)」

ちなみに、この横田良一さんは26歳で夭折されたそうです。
古賀政男などとも親交があり、「古賀政男大全集~20世紀の遺産」に、横田良三の名で『情人の唄』が収録されています。
26歳の若さで100曲以上となると、もし長生きされていたらきっと日本を代表するような歌手になられていたかもしれません。

出身地の牛深市で毎年行われているという「横田良一祭り」への牛深市民の想いというものが、何となくわかるような気がします。

小さな小さなご縁ですが、牛深の皆様にも『小梅姐さん』を観て頂きたいなあと思いました。

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「天草民謡」余話

吉松英夫さんから添付ファイルで提供して頂いた資料は、天草小唄とこの天草民謡の歌詞が記載された、随筆集『天草島』吉見教英著(郷土新聞みくに社社主)の表紙と関連ページ、 『横田良一伝』(浜名志松編著作)のなかの吉見教英氏執筆部分、みくに新聞昭和8年9月20日付/上記本の一部)のコピー、およびレコードの写真(コロムビア、ニッチク)という、文字通り貴重なものでした。

『天草島』表紙(吉松英夫さん提供)

書物には、レコード出版という当時(昭和8年)の大衆文化の最先端を使い、地域の活性化を目指して観光宣伝に励むその意気込みなどが異口同音に語られており、現代と変わらぬ当時の有様が伝わってきます。

特に当時は、「全国的に小唄が流行し、殊に観光宣伝には不可欠のものとなっていた」(『天草島』)ようで、横田良一という人が先頭に立って引っ張り、A面となる「天草小唄」は自ら吹き込んでいます。

なお、この横田良一さんは、50曲以上もレコーディングされているほどの歌手で、天草の牛深では『横田良一祭り』が今年も9月25日(土)・26日(日)にクラッシックコンサート、天草小唄サンバの踊り競演などが予定されているそうです。

吉松さんによると、昭和9年3月長崎と雲仙で開催された『国際産業観光博覧会』にあたって発表された「長崎博覧会の歌」を吹き込んだのが横山良一で、B面の2等入選歌「崎陽小唄」が姐さんというわけで、この横山良一と姐さんは、都合2枚のレコードを共にしているということです。

さて、その「横田良一伝」の中から、資金集めの様子など、北九州のことなども出てきますのでいささか長くなりますが引用してみたいと思います。

「・・・さてその資金が幾ばくを要するか、まあ五百円は入るだろうとの事。レコード会社で自ら企画して、全国的に販売して採算のとれるものならとにかく、地方のもので、こちらの注文品だから相当の金が入るというのである。

そこで、私は横田と二人で熊本電気の上田万平社長を大江町の自宅に訪うて百円の寄附約束をした。

・・・二人は、これに力を得て八幡市に向かった。八幡には郷土の先輩中井励作氏が製鉄所長官をしているから、これに相談したら必ずできると信じたのである。しかし、中井長官は上京中で不在だった。

二人はガッカリしたが、元天草支庁長の鶴田豊氏が戸畑市長をしていたので、これを襲撃する事とし、二人でその私宅に出かけた。鶴田氏も我等の意のあるところを諒とし、翌日戸畑市役所で五十円を渡してくれた。これで先ず横田の上京旅費はできた。

私と駅で別れた横田は、製鉄所の宿舎に住む親元に帰って、その翌日上京の途についたのだ。八幡で泊まった宿は「とみや」という高級の旅館だった。

<中略>

・・・作曲を古賀政男に依頼するはずだったが、病気でできなかったので、大村能章に持っていった。

大村氏は天草特有の情調をだすために、ハイヤ節や新地節などのメロディも聞いた上、作曲にとりかかった。そこでA面の天草小唄は横田が吹きこみ、B面の民謡は小倉生まれの小梅にきまった。

歌手の横田も作詞の平野も肥前も同年の二十三歳で、小梅は少し上だったかも知れないが同じ九州出身だった。

小梅は中井氏などもヒイキにしていたらしい。<後略>」

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「天草民謡」

姐さんの吹き込んだ民謡が、新たに1曲見つかりました。
当サイトの民謡リストのページに、吉松英夫さんという方から8月30日、「天草民謡 作詞:肥前泰隆 作曲:大村能章 1933年(昭和8年)12月 コロンビアレコード赤坂小梅さんが歌われています」というコメントが寄せられました。

早速、投稿して頂いた吉松英夫さんとやりとりをさせて頂き、その歌詞や貴重な資料などを送って頂きました。
その歌詞をご紹介したいと思います。

天草民謡
深海村 肥前康隆作詞 大村能章作曲 東京赤坂 小梅吹込

1.帰りそこねて 月夜の濱で 川原かにめが ヤレ思案顔
2.知らぬ船来て 十字架立てて 帰りゃ椿の ヤレ花咲いた
3.瀬戸の開閉(あけ)橋 又待たされて 白帆通る間に ヤレ月が出た
4.濡れてションボリ 島入りつばめ 夢の夜床にゃ ヤレ耶蘇の鐘

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吉松さんによると、
「この歌詞は、観光宣伝、雲仙天草国立公園指定運動に力を入れていた横田良一の発案で、公募作品のなかから選ばれたもので、天草小唄(横山良三=横田良一)と天草民謡がコロンビアレコード(昭和8年12月、番号27607)で発売された」
ものだそうです。

amamin1.JPG
写真提供、吉松英夫さん

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ところでいささか驚いたのは、「天草民謡」という曲のタイトルでした。
大分県民謡」の場合も、これが曲名であることを勉強不足もあってにわかには信じられませんでした。

ただ、この「大分県民謡」という前例があったので、この「天草民謡」という曲名にとまどいはありませんでしたが、逆にこういうネーミングの曲が熊本にもあったとなると、他の地域にも見過ごされている「○○民謡」という曲があるのではないか、そしてそれはひとつの風潮として案外各地で誕生していたのかもしれない、という新たな関心も湧いてきました。

こうしたことについてご存知の方がいらっしゃれば、ぜひご教示願いたいものです。
いずれにしろ、これで熊本の民謡は11曲になりました。
吉松英夫さんどうもありがとうございました。

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