2009年09月12日
小倉時代の小梅姐さん
この夏、小倉時代の姐さんと一緒に踊りを習っていたという人が、今もご健在で大分県にいっらしゃるという情報が寄せられました。過日、私たちはこの情報をもたらして頂いたFさんのご案内で、お話を伺いに出向きました。
宗カズエさん。1916(大正5)年1月15日生まれ。
姐さんより10歳年下です。
旧小倉駅前(移転前の駅舎は現西小倉駅の東200メートル付近)にあった「富士屋食堂」の娘で、6歳下の妹、君子さんと、旧小倉市大門(だいもん)の路面電車電停前にあった“浅野舞踊団”で踊りを習っていたそうです。
姐さんの自伝「女の花道」によると、この浅野舞踊団こそが、藤井清水、野口雨情らに小倉花柳界一の美声として小梅を引き合わせ、その後の彼女の活躍の契機を作ることになるのですが、そこには芸妓たちだけではなく、宗さん姉妹のような一般の婦女子も習いに行っていたようです。
宗さんの思い出は、妹の君子さんの手を引いて連れ帰ってくれる小梅の様子から始まります。
大門から、旧小倉駅前の食堂まで君子さんを連れて帰り、それから紫川を渡って京町の自宅まで、小梅曰く「太らんように」と歩いていたそうですが、
「キレイナカッタヨー、色白で、目が大きくて」と宗さん。
夏などは当時1本5銭のラムネではなく20銭のサイダーを宗さんたちに振舞い、小梅もおいしそうに飲んでいたそうで、女将さんである宗さんのお母さんがビールを勧めても、今晩お仕事で飲むからと店では決してアルコールは口にしなかったそうです。
宗さんは、小梅のことを「コウメネエチャン」と呼んでいました。当時の源氏名は「梅若」でしたが、市井の人々とはもちろん本名で接し、特に生家のなりわいと同じ食堂の年下の娘たちには一方ならぬ思いがあったのかもしれません。
小梅の上京が決まってのお別れの際には、宗さんたちの前で「奴さん」を踊ってくれたそうです。そのほかにも様々な証言、びっくりするような面白い証言もありました。
この小倉時代というのは、姐さんの歌手としての生涯を形作る大変重要な時期なのですが、証言はもとより資料などもなかなか見出すことができず、今回の宗さんのような証言は、当時の小梅の人間像を知る上で大変貴重なものとなりました。なお、語られた記憶は昭和4~6年、宗さん13~14歳の頃のことと思われます。
お話は、座談という形で打ち解けた雰囲気の中で進みました。この一連の様子を、私たちはメモ代わりに廻したカメラに収めることが出来ました。
あくまでもメモとして撮った映像なので映画並みとはいきませんが、
せっかくなので近日発売を予定して鋭意作業中のDVDに、特典映像として使うことにし、7~8分程度にまとめるべく今その編集作業に入っているところです。
タイトルはそのまま「小倉時代の小梅姐さん」。どうぞお楽しみに。
- by Felet
- at 12:22



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