2008年12月16日

東京上映のご報告と御礼

ご支援ご協力、どうもありがとうございました。
追加上映と銘打たれて先週6日(土)から1週間、朝1回のモーニング上映は12日(金)を千秋楽に打上げ、完成から1年半を要して果たすことが出来た東京劇場公開の、すべての上映が無事終了しました。

この1週間は天候にも恵まれ、また、各メディアのエールともおぼしき記事や、これまでにご覧になったお客様の口コミもやっと浸透し始めたのか、モーニング上映にもかかわらず最終日には補助イスを用意するほどの盛況で、劇場をして「もったいない」と言わしめたラストランでした。

全体としてみれば、私たちの非力さもあって期待と不安の入り混じった興行でもありましたが、多方面からの様々なご支援やご協力を得ることが出来、また、ご覧頂いたお客様の評判も良く、特にご高齢者や民謡ファンなどを中心に大きな反響と高い評価を得ることができました。

さらに、メディアの好意的なレビューや識者の方たちのコメントも少しずつ出始め、1年半をかけてやっとたどり着いた懸案の東京上映は、“壮大な試写会”とも言うべき様相を呈しつつ、何とか乗り切ることが出来ました。
文字通り一点突破全面展開への序章として、今後への励みと弾みを感じているところです。
事実、この公開が契機となり、来年2月には大阪の第七藝術劇場、名古屋のシネマスコーレでの上映が決定しました。

一方で、組織も後ろ盾も無い典型的な自主製作映画にとって、映画興行というものの厳しさ、しんどさの、もはや“商売”という範疇にも入らぬような大変さを実感することにもなりました。
だからこそ、というべきかもしれませんが、製作費の回収ということだけではなく、姐さんが唄った全国各地200曲以上の民謡のそれぞれの地に、そして、故地への望郷と出自の地への憧憬を抱く日系移民の方々に、この映画を届けることが出来たらなどなど、夢想だけは大いに広げているところです。

映画製作と同様、上映にもたくさんの人たちのご支援ご協力がありました。
まずは、劇場に足を運んで頂いた多くの皆様。ご来場どうもありがとうございました。

前売鑑賞券、ふるさと鑑賞券へのご協力。パブリシティ。プレゼンの場のご提供。館前懸垂幕のご提供。チラシの配布やポスター掲示の場のご提供。ノベルティのご提供。お弁当の差し入れ。自ら広告宣伝を買って頂いた多くの方々。こんな人に、あんな人にとご紹介して頂いた方々。何より公開記念イベントにご出演頂いた、畠山みどりさん、望月太八さん、本條秀太郎さん、ゆかりさん(出演順)。皆様に、心から感謝いたします。本当にどうもありがとうございました。

そして、ポレポレ東中野様と劇場スタッフの皆様、本当にどうもありがとうございました。

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comments

ラジオ深夜便を偶然架けておりましたら山本監督さんのオンタビユーで赤坂小梅さんの話を聞きました。私は東京港区赤坂伝馬町3丁目(現、元赤坂一丁目)で生まれ育ちましたが家のすぐ近くに真野医院という町医者が居てその先生が小梅さんと結婚したという話が立って町内が沸き立った ことがあったのを懐かしく思い出しました。33年前に死んだ父が小梅さんのフアンで身内の結婚式で指名されるとよく唄ってました(父は江戸っ子で福岡出身ではありません)。この映画のことを知りませんでしたので東京で上映されるときに 見ておりません。東京で又の機会ありましたら 教えてください。ラジオでの山本さんのお話はとても良かった、小梅さんの人柄なりがよぅ理解できました。有難うございました。 >
  • 松尾 信之
  • 2009年01月16日 06:48
松尾信之様 このたびは、コメントをお寄せ頂きどうもありがとうございました。町医者の結婚話のエピソードなど大変面白いお話ですね。何時頃のことでしょうか? さて、東京での上映については、情報が行き届かず大変申し訳ありませんでした。なにしろ、公的な助成や補助金、また企業のスポンサードも無い、住民有志による典型的な自主製作で完成にこぎつけた作品で、予算もスタッフも少なく、おのずと宣伝の方法も限られてしまいました。ただ、そんな状況ではありましたが、ご覧頂いたお客様の高い評価やメディアのご支援もあって、尻上がりにお客様が増えるという将来に希望が持てる形で終わることが出来ました。とはいえ再度の上映というまでには現段階では到っておりません。ただ、ご覧になったお客様の中から自主上映という形で取り組んでみたいというお話も頂いており、東京近辺での上映の可能性が無いという訳でもありません。具体化するようでしたらご報告いたします。今後ともどうぞよろしくお願い致します。>
  • masunaga
  • 2009年01月17日 00:17
町医者との結婚話の件は、小唄勝太郎さんのことでした。同じウグイス芸者で、小梅、市丸さんとともに三羽烏と称された方。芸者つながりで小梅さんと混同した話が流れたのかもしれません。ちなみに、勝太郎さんの結婚は1949(昭和24)年。中国大陸への戦地慰問の際に、病に倒れた勝太郎さんの前に現れたのが、軍医・真野遼一。それをきっかけに交際が続き、戦後めでたく結ばれたというわけです。真野夫人として、生涯幸せに暮らされたそうです。>
  • masunaga
  • 2009年01月25日 11:36
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