2008年06月25日

ノーエ(農兵)節

 富士の白雪ゃノーエ 富士の白雪ゃノーエ
 富士のサイサイ白雪ゃ朝日でとける

 とけて流れてノーエ とけて流れてノーエ
 とけてサイサイ流れて三島にそそぐ

 三島女郎衆はノーエ 三島女郎衆はノーエ
 三島サイサイ女郎衆はお化粧が長い

ご存知、「ノーエ(農兵)節」です。

昭和9(1934)年2月に、姐さんの「ノーエ(農兵)節」は発売されています。
これが、この唄を全国的なものにしていく契機となっていくのですが、

ところがその2年前、姐さんがまだ梅若と名乗っていたビクター時代に、唄の舞台でもあるご当地三島のレコード商組合が出資して、500枚限定のレコードを出していたらしいのです。

三島市文化振興課によると、この限定盤については以前行われた聞き取り調査で、このレコード化に関わったレコード商のお一人からの証言を得ているのみで、レコードはもちろんのこと今のところ具体的な物証はないのだそうです。

市としては、何とかこれを裏づけ文化財レベルでの顕彰を考えていらっしゃるそうで、その手掛かりを求めて私たちにも問合せを頂いたという次第です。
残念ながら私たちに即応する力量は無く、かえって興味津々にお話を伺わせていただきました。大いにその成り行きを注目したいと思います。

ところで、この姐さんの昭和7年盤よりさらに前に、地元芸妓によるレコードがローカルレーベルのニュー太陽レコードというところから発売されており、これはちゃんと残されているそうです。
ただ、この盤はそれほど普及することはなく、結果として姐さんにその役が回ってきたということでしょう。

さて、この「ノーエ(農兵)節」ですが、本家を巡ってシンポジウムまで開かれていました。
この三島の「農兵節」、横浜の「野毛山節」、この両者を軸に久留米の「塩屋の娘」、大阪の「サイサイ節」、函館の「臥牛山からノーイ」、石川県津幡町のノーエ節「オッピキダイサン」。
大学の応援歌でありながら民謡の枠を超えて「ノーエ」の囃子言葉が取り入れられている上智大の「紀尾井節」、国学院大の「國大音頭」、国士舘大の「國士舘節」、熊本大学の寮歌「ノーエ節」。

民謡の奥深さを見る思いです。
姐さんの7年盤が発見されるといいですね。


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comments

「梅若と名乗っていたビクター時代に」とありますが、S6年に小梅(梅若)が上京し赤坂の置屋「若林」の抱え芸者として落ち着いた頃に、「赤坂小梅」と名乗っています。したがって本件のS7年にはすでに「赤坂小梅」と名乗っていたものと考えられます。 ちなみに、命名者は作曲家で後見人の藤井清水です。>
  • masunaga
  • 2008年07月18日 14:41
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